内満つ時

杳です。
数年前から、同じ時間を繰り返している気がする。

日常の中の小さな不和が身体の中に降り積もって、自分が消えてしまう。目が覚めてもカーテンが開けられない。名乗ることができない。音のしない靴を履き、色のない服を着る。笑うことも歌うことも話すこともできずに、指先から少しずつ凍っていって、やがて意識が世界から消える。具体的に言うと呼吸が止まり、抽象的に言うと心臓が止まる。

どんなに生きてもしょうがない、寂しい悲しいとみんな思っているだろうか、あの人もあの人も。夜をこめてさまよう盤桓の道すがら、とらえようのない寂寥が心を食い尽くす。自分は一体誰と思う自分もなく、時間の中をただ滑る。

そんなとき、日常に打ち込んだ楔があるといい。目に止まるでも、躓くでもすれば。自分の重さを足の裏に感じて、目を閉じて、息を吐き出せる。息を吐き出せると、息を吸える。何度か繰り返して目を開くと、世界には色があり、音が満ち、味がして、季節の匂いが仄かにしていることを思い出せる。少しだけ浮上して顔を出した水面に、朝日を眩しく思う。

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ここずっと論文の執筆をしていました。国際会議に出す原稿ですので、普段自分の頭の中にあるリズムでは書けず、自分ではない誰かに腕を乗っ取られて書いているようでした。締切が繰られたことにより、まだ作業は続く。

この投稿を書き始めたときは部屋が湿気でいっぱいだったのに、もう自分が住んでいるところは夏模様です。季節の移ろう時、どうか健やかでありますように。そして、また自分を失っても、部屋の中に撒いた種に足を引っ掛けて呼吸を深くし、何度でも自分の像を思い出せますように。